メデカルユニオン経営陣による鼎談

創業~並木喜次という人物について

ーー1955年、昭和30年に始められたのですよね。
C:そうですね。
ーーいたるところに調剤薬局が開局し始めた時代なのですか?
A:「調剤薬局」ではなく「OTC薬を販売する薬局」です。そもそも薬局そのものが少ない時代で個人開業医も少ない時代でした。昭和30年ですから。
ーーそうですよね。病院内で処方することが当たり前の時代ですよね。
C:個人病院そのものも少なかったですよ。
A:戦後10年しか経っていない(笑)
ーーそうですよね。昭和30年ですもんね。
B:復興途中という感じですね。

ーー実際に薬局を開局した時はどんな状況でしたか?

C:OTC薬も少数でした。この辺は家が少なかったです。OTC薬がほとんどで、「薬局」としての許可を得るために調剤室を設置しなければならないため調剤も行っていました。日本薬局方で決められた処方がありまして、それに従って胃の薬を処方してくれとか、お腹を壊したから整腸剤、下痢止めを処方してくれとかその程度の調剤はしておりました。

ーー開店当初からお忙しかったですか?

C:そんなに忙しくないですけれど、薬局として看板を出していましたから、怪我をしたとか病院に行くほどではない患者さんがいらっしゃいました。病院が近所に1軒しかなかったので、ちょっと胃の薬が欲しいといった患者さんは結構いらっしゃいましたね。

 
 

A:今の健康保険制度が施行されたのが昭和40年代です。30年代は健康保険制度がなく、OTC薬の時代でした。病院にかかっても自費診療ですよね。ですから皆さん薬局に駆け込んで「お腹がいたいのだけどどうしたらいい?」とか「咳が止まらないのです」というようにご相談されるのです。今「健康サポート薬局」をよく耳にしますが、結局その時代に戻っているというわけですよ。

ーー創業のころのご苦労したエピソードはありますか?

C:苦労ですか?そうですね。お客様との対人関係が大変だったですよね。それが苦労したことですね。

ーー沿革を振り返るとCさんが始められてから10年後にまず支店第一号の成増団地店を出されますよね。

A:そうです。その頃から問屋、今でいう卸しさんから薬を購入していたのですが、問屋さん担当者の中には独立したい人がいるわけです。創業者が相談されると、開局最初は商品などが不足しがちですから、当薬局から商品を提供しながらマーケティングや資金面等要領がつかめたら独立しなさいというかたちで応援していました。また、その当時は高度成長期。団地ブームが起こり、団地の中に薬局を開局することの意味が十分にあった時期でもありました。

ーー目端が利いていますね。昔から「こうやったらいいぞ」と常に将来のことを考えていらっしゃったのですね。

B:合理的な人でした。創業者は私に経済のことはいろいろなことを教えてくれました。お金の動きですとか、モノの動き、社会の仕組みの話はよくしてくれましたね。

 
 

調剤薬局としての始まり~出店の苦悩

ーーまずメデカルユニオンが分岐点となった年は1983年だと思うのですね。まず「赤塚並木調剤薬局」を開局します。東京ディズニーランドがオープンした年ですね。そこから調剤薬局を本格的に開始するのですが、その時のお話を聞かせていただきたいと思います。

C:調剤薬局を始めたのは、耳鼻科の先生から「自分が院外処方箋をだすのでお宅で薬を患者さんに処方していただけませんか?」という話があって「それではお引き受けいたしましょう」ということで始まったのです。
ーーそれが初めてのメデカルユニオンのチャレンジだったわけですが、実際調剤薬局はどんな様子でしたか?

A:大変でしたね。その時代は医師から提供された処方箋を受けて、それを調剤することが出来るレベルの薬剤師がすごく少なかったのです。

ーー昔はそんなレベルだったのですか?

A:そうです。当時はお薬手帳とかもありません。薬剤師も制度を理解していないから「どこか他の病院にかかっていますか?」とそれ位のことしか聞けないし、そもそも最初のころは薬歴を書く義務もなかったのです。

B:とてもアバウトでした。とにかく持ってきた処方箋のその内容に従ってお薬を調剤して、「1日何回飲んでください」という程度の説明で許されたのですよ。

A:「処方箋の内容に沿って間違いなくお薬をきちんと渡す」ということさえ出来れば問題ないという時代でした。

ーー当時、調剤薬局が将来主流になるという確信はあったのですか?

C:はい。創業者はそう申しておりました。

A:ちょうど初めて調剤薬局を開局して2年ほど経った頃、下赤塚に新たに診療所が開院されることになったのです。初めて内科の院外処方をお引き受けすることになったのでが、創業者は、「これからの病院は医薬分業という国の方針に沿ってほとんど院外処方に移行していく。」と考えたのでしょうね。

 
 

ーー1983年に調剤に本格的に舵をきりだしてから、新たに出店することになるのですよね。厚生病院前にあった旧みその薬局を2号店として開局して、次に成増駅前に開局して、そして西台駅近辺と。
A:創業者は精神科の処方を扱いたいとこだわりがあったのだと思うのです。精神科はまだ未開拓の分野でしたし、精神科の調剤の需要はすごく増えると創業者は申しておりました。とにかく、うちの創業者は一度やると決めたら実行する人だったのです。

ーーバブルがはじけた時代ですね。世の中は経済不安に陥っているけどメデカルユニオンは真逆で手が回らない位だったのですね。

A:そうです。

ーーそして、成増店、西台店のオープンへと繋がっていくわけですね。

B:はじめの一歩としてみその薬局を開局し、処方する薬もほぼ同様。およその準備の方法、調剤に必要な機械もどの程度のものを揃えていけばよいか、けれども莫大な投資はできないので「これとこれを揃えればなんとか調剤するのに差し支えない」というノウハウを苦労し蓄積したことで後はすごく順調に進みましたね。

A:ただ薬剤師の採用の問題はありましたが。

 
 

時代の変化における薬剤師の採用について

ーー薬剤師を採用することは以前から困難だったと思うのですが、この10年くらいは調剤薬局が乱立しがちで、薬剤師国家試験合格者の数は増えても薬剤師の奪い合いがある、あるいは大手の系列化が進んでいくという中で、メデカルユニオンとして、いつもここは気をつかっているというものがあれば、それぞれお三方にお聞きしたいのですが。

B:本当に最近感じるのは、薬局が医療機関としてすごく重い責任を問われることです。今まではミスをしても「すみませんでした」で終わっていたような場合でも、今は法廷の場に立たなければならない時代になってきてしまって、若い薬剤師さんから責任を取らされるのが嫌だという話をよく聞きます。

自分だけでは責任を取りきれないので、チームプレーというか、相互のチェック機能が薬局の中で働かなければ、ミスは防げません。私がいつも現場で思うのは、ミスしたときの責任を個人の薬剤師が問われるというような、脅迫観念のようなものをなくしたいのです。責任を取る、取らないというよりは全員でミスを犯さないような風通しの良い環境…それは最終的に薬局内の人間関係につきると思います。
誰かが責任を云々されるのではなくて、そういう事態があったら、「次にどうしよう」と、話し合いが常に出来るような、風通しの良いコミュニケーションで仕事が出来る薬局作りを心がけたいと思っております。もちろんやはり自分が調剤監査したことですし、調剤済印を押すのですからある程度の責任を追わざるを得ないことは事実なのですが。
ただ調剤薬局に求められることが10年前と現在とではぜんぜん違うと思うのです。どんな場合でも薬剤師の皆さんが「自分だけが」という重荷感のようなものを取り除く努力が経営する者には必要なのではないかと思います。そういうことを感じてもらうことで薬剤師にずっと働き続けてもらえると思います。

ーー薬剤師を巡る環境が日々変化するなかで、それぞれの薬剤師に負わなければならない責任が重くなる中で、メデカルユニオンでは会社として、またそれぞれの店舗としてチームワークや会社全体でバックアップしていくこととを非常に意識しているということですね。
B:そうですね。そしてなるべくリスクを分散して個人の責任を軽くしたいと思っています。そのような薬局づくり 事務を含めた人間関係づくりというのが人材の定着につながっていると思っています。
ーーAさんはいかがですか?特に個々の従業員に対して気を遣われることはどのあたりですか。

A:なるべくその人がどういう環境で働きたいか、ということをじっくり聞くようにしています。働き方も人それぞれご自分の生活とバランスを取りながら仕事を続けるというスタンスに変わってきていますし、女性の多い職場なのでバランス良く働くことはとても大変なことだと思うのです。

子育てをしなければという方もいらっしゃれば、親の介護をしなければならないという方もいらっしゃいますので。その方がこの薬局でどういう働き方をしたいのか、薬剤師として薬局でどういう力を発揮してもらえそうなのか、というところをよく聞かせていただいて、働き甲斐のある職場であるということをきっちり理解した上でスタートしてもらいたいです。
働き甲斐を実感できる薬局だとしたら、開設者としても嬉しいわけですよね。一生懸命そして安心して働くことができますから。そうするとお互いがハッピーじゃないですか。

ですからその方がどういう風に働きたいのか、ということを十分に理解した上で、その方にどういう形で働いてもらうのが良いのか。残念ながら今回はその方が希望するような形での働き方が当方では提供できないからまたいつかご縁があったときには、ということにもつながるのではないかと思います。このようなところが一番重要ではないかと思います。

 
 

ーーCさんから見られて「こんな薬剤師さんてうちの職場にふさわしいわ」と思われる方はどんな方ですか?
C:そうですね。今のところは皆さん特別な個性を持って従事していらっしゃらないので、特にふさわしい方を意識した事はないです。

ーー特別な個性とは?

C:自分流ではなくて、我々の考えに同意してお仕事をやっていらっしゃる方。「あれは嫌だ、これはできる」とかそういう言い方をなさらない方ですね。穿った見方でしか対応できない人は困りますね。そういう方は現在いらっしゃらないですから、私共もとても皆様には感謝しております。

ーー現在は良い方に恵まれていて、そういう方が長く勤められておられるのですね。

これからのメデカルユニオンについて

ーー最後にお聞きしたいのですが、もともと田んぼと畑の中にポツンと薬局が出来て、それが今度は調剤薬局の流れにいち早く乗って、このエリアの調剤薬局のパイオニアとして今に至るのですが、これからのメデカルユニオンの未来をどのように考えていらっしゃるのか、こんな風にこれから目指していきたいというのをぜひ聞かせていただきたいのですが。

C:創業者が一生懸命ここまで頑張って基礎を作ってくれましから、今の時代にふさわしい薬局を残されたものが守っていってくれればありがたいと思います。

B:そうですね。社会は絶えず変化して行きます。薬局という業態は他の仕事と違って社会に貢献できる面がとても強いので、それがやはり自分たちが頑張っていける大きな支えになっていると思うのです。「拡大しよう」とかそういうことではなくて、患者さんを支えることの出来る薬局でありたいと思います。このような薬局作りを時代の波から何とか取り残されないように、廃業しない程度に(笑)続けることができればいいなと。

ーー廃業なんてとんでもない(笑)

B:Bさんの言っていること、まさしく私も同じ意見で、かつCさんの思いも同じだと思います。創業者が一生懸命知恵を出してここまで育ててきてくれた事業なので、私たちがきちんとした形で次世代にバトンタッチをして、出来れば百年企業にしていきたいな、と思っています。

 
 

ーー人間の命に係わることですからね。Aさんはいかがですか?

A:Bさんの言っていること、まさしく私も同じ意見で、かつCさんの思いも同じだと思います。創業者が一生懸命知恵を出してここまで育ててきてくれた事業なので、私たちがきちんとした形で次世代にバトンタッチをして、出来れば百年企業にしていきたいな、と思っています。

ーー今年何年目ですか?

A:62年です。

ーー山でいえば六合目をちょっと越えたところまで来ましたね(笑)

一同:(笑)

ーーここから後40年近くありますけれど。

A:これから世の中どうなっているかわからないですが、やはり百年企業はひとつの目標ですね。

ーー百年続いた薬局なんて、そうないですからね。

A:そうですね。とにかく薬には携わっていく形で、創業百年をめざして頑張っていきたいと思います。

ーーいいお話が聞けました。今日は長い時間ありがとうございました。